ヒンズー教の聖地でありヨガ発祥の地、リシュケシュ。ここでは毎年、インド中の修行者や世界各国の観光客がヨガを習いに訪れます。なぜわざわざリシュケシュへ訪れるのか?それは前述したようにヨガ発祥地であることはもちろんのこと、ここでは外国人も滞在することができるアシュラムが点在しているのです。アシュラムとは「修行をする場」という意味がありインドでは多くのアシュラムが建てられています。修行者がそこに住み込みヨガの修行を行うわけですが基本的には外国人は滞在することを許されていません。しかしここリシュケシュのアシュラムには多くの外国人でも滞在を許されるアシュラムが建てられています。そのためヨガ好きの外国人はここへ訪れヨガ生活を楽しむということです。そんな世界各国からの観光客が集まるリシュケシュ。なかには有名人も訪れるということでも有名です。リシュケシュを少しでも知る人ならおそらくご存知でしょうがここではあの世界的有名バンドもヨガ修行をした場所でもあるのです。
ビートルズが訪れたリシュケシュ
そう、世界でもっとも成功されたバンドとしてギネス記録に認定されているビートルズです。ビートルズは1968年に取り巻きの女性と一緒に曲作りの計画に関するひらめきを求めてリシュケシュ近くの森にある高尚な瞑想道場を訪れました。
なぜリシュケシュへ
前述したようにビートルズは曲作りの計画に関するひらめきを求めてリシュケシュへヨガ修行をするために訪れました。しかしヨガはどこでもできるはず。それに加え当時の彼らは20代半ばというまだまだ遊び盛りなお年頃。リシュケシュは穏やかで静かな街ですがヨガ好きでない限り若者には少し退屈に感じてしまうことも少なくありません。ではなぜ彼らはヨガ修行にリシュケシュを選んだのでしょうか。それはマハリシ・マヘーシュ・ヨギというインド人のグル(ヒンズー教で導士、指導者)の存在が主な要因のひとつといわれています。マハリシ・マヘーシュ・ヨギというインド人は1955年頃から超越瞑想(Transcendental Meditation:TM)という瞑想法を伝授する活動を世界で展開しているほど当時ヨガの第一人者でした。60年代のでは3大グルの一人とされて崇拝され、80年代の日本ではストレス解消法としてTMが企業にも導入されました。ビートルズの4人は家族ぐるみでを巡回中のマハリシの講演会に出かけ交流を深めた末、ついにインドのリシュケシュへ出向くということになったのです。
マハリシとのトラブル
そういう経緯でリシュケシュへヨガ修行をすることになったビートルズ一行。しかし、リンゴ夫妻は2週間でポールは3週間でジョージとジョンレノンは1ヶ月半リシュケシュを離れてしまいます。ベジタリアン料理と長い瞑想に耐えられなかったということもあり得ますが主な原因はグルのマハリシ・マヘーシュ・ヨギとの決別であったと言われています。マハリシとの決別の理由は、彼が同行していた女優のミア・ファーロウにセクハラをしようとしたことが原因になっているらしいですが、愛に寛容なはずのジョンがそれを許せなかったとは思えません。20代半ばという”幼さ”のせいなのか、ジョンはかなり疲弊していたのか、それともマハリシを想像以上に神格化していたのだと思われます。一説にはマハリシがドラッグづけのミア・ファーロウをアシュラムから追放しようとしたことが発端だという説があるようですが定かではありません。しかしこのリシュケシュの滞在の後、マハリシとビートルズのメンバーの交流が一切なかったことから彼らの間になにか確執が生まれたということには間違いないようです。
リシュケシュで生まれた名曲
このようにリシュケシュでの滞在が短かった彼らですが、それにもかかわらず高い生産性を発揮し、この期間中に彼らは通称『ホワイト・アルバム』のための48曲を書き上げたと言われています。『ホワイト・アルバム』は全体としてソロ曲の寄せ集めのようなバラバラな印象があり、どこか肩の力を抜いた、素のままの彼らを表現したような作品集になっています。また、自然と太陽を感じさせる曲が多いのは、このリシュケシュの環境が大きく影響しているように思えます。例えば”Why Don’t We Do It in the Road?”というポールの作った曲はインドで二匹の猿に遭遇した時の事を歌った曲だそうで、他にも”Dear Prudence” は彼らの同行者で女優であるミア・ファーロウの妹がメディテーションに熱心で部屋に引きこもってしまったため、ジョンが外に出て遊ぼう、と誘いかけた歌で、さらにマハリシが同行の女性に手を出した出来事を皮肉を込めて歌った“Sexy Sadie”という楽曲を作ったという逸話もあります。(セディーはヒンドゥー教の出家者サドゥーのことと思われる)
ビートルズが滞在したアシュラム
彼らの滞在していたアシュラムはリシュケシュ近くの山奥にあります。アシュラム名は彼らが慕っていた師と同じ名前で「マハリシ・マヘーシュ・ヨギ・アシュラム」。現在のマハリシ・マヘーシュ・ヨギ・アシュラムは廃墟と化し閉ざされているのですが、管理人に入場料を払うことで中を見学することができます。外はインドのイメージとは遠くかけ離れた静かさで中に入ると、とんがり屋根の小さな建物がいくつも並んでおり、実はこれが当時使われていた瞑想の部屋だそうです。ちなみにジョン・レノンは自身のラッキー・ナンバーである9番の番号の部屋を好んで使用していたのだとか。建物の壁にはファンの人々が描いたビートルズやジョン・レノンをモチーフにしたペインティングがたくさん存在します。
他にも街には60’s (Cafe Delmar/Beatles Cafe)というビートルズにまつわるレコードやレプリカ、そして店内ではビートルズの曲が流れるカフェがあります。リシュケシュに訪れたからにはビートルズファンはもちろん、そうではない方に対してもおすすめです。このようにリシュケシュでは短い期間であったにもかかわらず色々なところでビートルズの軌跡をたどることができます。是非、リシュケシュに訪れた際はヨガ体験だけではなくビートルズがここリシュケシュで生んだ名曲の数々を聴きながら街を散策してみてはいかがでしょうか。