インドで感じた食事と人生のつながり

ヨガ 家族

インドの食事

新鮮な食材が豊富

混沌としたインドという国に来て毎回驚くことは食材がフレッシュなことです。特にインド人にとって、スパイスの鮮度はとても大切なことです。スーパーマーケットや商店でたくさん並んでいるいる箱入りスパイスの製造年日をチェックすると大抵パックしてから3ヵ月未満なのです。それだけ、商品の回転も速いのでしょう。各家庭でもスパイスの鮮度が重視されていることが伺えます。

インドの家庭では、カルダモンや、スターアニス(八角)、クローブ(丁子)などの種子系スパイスはスパイスひき屋さんにひいてもらったり、料理する直前にすりつぶすというのが一般的です。パウダー状になってしまったものでは、スパイスに慣れていない私達には気付かないようでも、インド人には香や成分に乏しく感じられるそうです。
麦やミレット(ひえ、粟、キビ等の英語名での総称)なども、鮮度が重要!ひいて、粉にしてから時間の経ったものは風味に欠けるのです。

それゆえインドで食べるチャパティがおいしい理由は、粉の鮮度にあるのです。ミルクもスパイスも新鮮だからチャイスタンドのチャイがおいしいのです。味だけでなく、風味を楽しむのがインドの食です。それを手で直接触れて口にする。インドでの食事では、スワディシュターナチャクラ(味覚)と共に、ムーラダーラチャクラ(嗅覚)とアナハタチャクラ(触感)がいつもより 刺激されてることに気がつきましたか?

カロリー計算ではなく消化重視

私達が日頃、便秘や下痢になったり肥満になることはインドのアーユルヴェーダでは「未消化」による「アーマ(不純物)」が原因とされています。私達が口にするものは消化されて初めて、吸収され、残ったものが排泄することができますが、消化が不十分だと、食べ物が消化管を通っていかず体に長く滞留し、それが毒(アーマ)に変わるのです。

インドでは身体や排泄に不調を来たすのは、「自分の処理能力を越えた食べ物」という概念が浸透しており、消化を助けるための工夫が食べ方や調理法でそこここに見られます。毎食といっていい程出会うクミンや、レストランの会計時にサービスされるフェンネル等は消化促進の代表的なスパイスです。日本では牛乳やバター、マーガリン(食べれるプラスチック)等を製造販売すると国から補助金が出るのですが、ギーやバターミルク等は対象外なので、日本ではあまり製造されていないため、なじみがありません。しかし、ギーやバターミルクという乳製品は消化と栄養吸収にたいへん優れているもさることながら、その味はたいへん美味。インドの食卓でいつでも見かけるものです。

不要物をとらずカロリーを摂る

西洋文化で一般的なカロリー計算というのは、単なる目安に過ぎず、人間の身体は「△△カロリー食べたから肥る」という単純なものではありません。
例えば同じ500キロカロリーのコンビニのお弁当と普通の白ご飯を比較してみましょう。コンビニのお弁当にはたんぱく質や炭水化物だけでなく、多くの脂質や繊維が含まれており、これを消化し、自分の身体に有用なエネルギーになるまで分解するために、多くの種類の消化酵素が必要となります。

一方、ご飯では単一品目のために消化酵素が少なくて済み、消化器官にかかる負担も少ないためにより多くの量を消化できるという訳です。加えてコンビニのお弁当の場合、保存料や着色料といった本来ヒトが口にすべきでないものがたくさん入っておりこれが一層消化を困難にし、消化しきれなかったものが身体に蓄積し肥満を呼びます。壊せないもの、排泄できない不要物が身体にたまった結果、肥満になるのであって、カロリーが高いために肥るのではありません。消化ベースの考え方というのは、モノをどんどん売りたい消費社会とは逆行するもので現代日本ではあまり一般的ではありません。消化できる量をというのは、ヒトそれぞれまた体調によって大きく変化するものです。インドでの食事を通して本来の自分の消化力に目が向くようになるでしょう。

霊性を感じて生きる

ベジタリアンの国インド

インドは台湾やバリ島と並んでベジタリアン天国と呼ばれる程、菜食主義のためのオプションが多く、配慮もなされている土地です。ヨギが増え、健康な食生活のためとに色んなダイエット(食餌法)が脚光を浴び始めた日本ですが、米国食肉産業支援のための奴隷と化しているフード業界では動物の肉や肉のエキスの入ってないメニューを探すのがまだまだ難しい状況です。比べてインドでは常に菜食主義者用のメニューというのが用意されていることや、菜食主義者が誤って肉を口にすることのないように線引きが明らかで、各々の選択肢が尊重されています。初めてのお宅に招待される際は、食事の傾向を尋ねられることでしょう。

インド人が肉食をしない理由

菜食主義者の多いインドでも「肉食をしない理由」というのは様々です。育成過程で化学肥料や抗生物質などのクスリ漬けになった動物の死肉によって身体を汚染したくない。や、肥りたくない。といったような健康志向型や、動物の死肉によって自分の纏うエネルギーが高次元に上がらない。という波動重視型。殺されるためだけの生命を作るシステムに加担しない。というカルマ思考型など。私は菜食主義者だという人々によくその理由を尋ねるのですが、一度ブラフマー層の友人の母親が「私達はヒトの見本になる存在として産まれているから(肉食しないの)です。」という答えを聞いたときには頭の下がる思いでした。

ヨガを深めてゆく上で避けては通れない概念「アヒムサ(非暴力)」と多くの犠牲の上に自分の存在が成り立っているというパラドックス。
「動物の肉を食べる/食べない理由は何か?そして、その選択による影響は社会や個人のたましいにどのように作用しているか」という問いかけから、自分以外の生き物とのつながりや、社会とのつながりの中にある宇宙の法則が必然的に見えてくることでしょう。

まとめ

「食べること」を通して、自分自身の内と外へのつながりを見つめ気付くことのできる国インド。日本のモノゴトを型にはめた見方を飛越えて、社会の実相を見つめ、たましいの声に耳を傾けにインドの濃密な空気の中へ自身を浸しにゆきませんか?インドの食事はあなたのたましいを解き放つ鍵を授けてくれるはずです。インドは食と生のつながりをダイレクトに感じる国なのです。