ヨガ本場インドでアイエンガーヨガを体験。ヨガの真髄に迫った1ヶ月。

アイエンガーヨガ

本物の瞑想はインドにあり

私が2015年にインドへヨガ留学に行った最初の目的は瞑想でした。余談ですが、私がアメリカ市民権を得たのもその年の夏だったのでした。 その年の冬アメリカ・カリフォニアのサンフランシスコから長年念願だったインドへと飛び立ちました。 しかし思いとは裏腹に国際空港のあるデリーにたどり着くと異様なムードが私を包みました。 一言で言うと、「やばい~!」だったのを覚えてます。「 えらいとこきてもた。」 そこから瞑想道場のあるプネーに行きたかったのですがもう遅い時間だったので、タクシーは無理だから、高くても飛行機にしようと思い立ち並んでるブースに駆け込みました。

どれがいいのかも解らず、エアーとホテルが一緒なのを選んだんだと思います。と言ってもインドだから知れてるけど、クレジットカードで50ドルくらいは支払ったと思います。 その夜はもう飛行機に乗れなかったのでホテルに行くことに。バスのようなものが来て乗ると、見たこともないような古い代物で、ドアはなし、埃が度々っと入ってくるし、みたこともないようなスラム街には、汚いテントらしきものが見え、その周りには小さな痩せこけた人々。野良犬もそこら中に居る。匂いも臭くて半端なかったのを覚えています。

ホテルは一応シャワーがついていましたが、お湯は出ず水でした。ペットボトルをもらいましがその水を飲むのも病気になりそうで怖いし、まず思ったのは「なんで、こんなとこ来たんやろ?!」 後悔先に立たずでした。

それはともかく翌日空港に行ってみると、リシュケシに行くというブラジル人のおばさんを見つけ、一緒に行くことにしました。 リシュケシについて、メディテーションアシュラムに着き、リキシャに乗って友達が住んでるアパートに到着したので、やっと安心しました。一人で行ったので、余計不安になり、初めて触れるインドに少しカルチャーショックでしたが、その後はすぐに慣れていき、瞑想三昧の日々を送ることができました。

瞑想

ヨガ王国インドでアイエンガーヨガ習得

私がリシケシにあるヨガ道場に通ったのはかれこれ10年以上前になります。当時ヨガインストラクターを目指していた私は本格的なヨガの勉強をしようと悠久の歴史を育むインド・ヨガ王国のリシケシには向かうことにしました。特にアイエンガーヨガというアーサナの姿勢を重視するヨガを学ぶことが目的だったので、たくさんあるヨガアシュラムから地域に密着した空手や剣道道場にも通じる雰囲気のあるアシュラムを選びました。

アイエンガーヨガとは

アイエンガ―ヨガの一番の特徴は、いろいろな道具、ロープ、ブロック、目隠し、椅子、丸い固めの枕なども使い、体を矯正するヒーリング作用も兼ねているので、かなりディープで他のヨガとは少し趣が違うかなとも思います。 一度、女友達が目隠しされ、みんなの観てる前でロープに吊るされたことがあります。 先生によると、彼女は腸の部分が弱いので見せしめではなく、矯正のためだということでした。 

全身でヨガを学ぶ日々

最初は、厳しい先生だな、ついていけるかな?と思いましたが、慣れていくと不安は薄らいでいきました。ドロップインの朝7時からガンジス河の最初の地域になり、流れる清流の空気を吸いながら行う座禅瞑想の気持ちよさ、すがすがしさは、言葉では言い表せません。 1時間半ほど座って呼吸とマインドを整えてからそのあとヨガのクラスが始まります。

遠くはヨーロッパからや南米、日本、そして韓国からも、初心者も熟練者も一緒になり、地元のインド人に交じって、アイエンガ―ヨガのクラスが、短い講義から始まります。 講義は英語ですが、シンプルな英語で進められたと思います、それよりも道具も使った実践の方が、たっぷり2時間ほど続きます。 先生はヨガの姿勢に対しては容赦はせず、「ダウンドッグ」ポーズがヨガの基本であると言われ、毎日徹底的にやらされたのは良い経験で現在にもものすごく役立ってくれています。 

要するに「犬」のポーズですが、大地へ犬のように四つん這いになるのです。 それはつま先から首、腰からからだの隅々を呼吸とともにストレッチしてくれて、体を矯正してくれ、日々の疲れから解放してくれます。 それもできるだけ長くゆっくりと時間をかけて行うとより良い効果に繋がります。 ルドラ先生のその商売っ気もない禅僧にも通じるような真摯なヨガへの情熱は私達にもひたひたと伝わってきました。 だから世界中からヨガ求道者を引き寄せるのかもしれません。

リシュケシ

インドでアイエンガーヨガを体験して

私は昔から瞑想やヨガに興味があり、アメリカでもカレッジでヨガクラスを受けたこともありました。しかし本場のインドで、50代初めでありながらリシケシのヨガ道場を体験できて本当によかったなあと、今更ながら思うのです。 そしてヨガをするのに年齢にこだわる必要もないんだということも実感しました。

それは「一生のお宝」だとも言える経験でした。 ヨガはある意味自己鍛錬、修練に繋がれる道を開けてくれたと思う自分が居ます。 それは肉体的にも、精神的にも自己解放への道に繋がっていけるのかもしれません。そしてその後、人生に「航海」はしても、「後悔」はしないと心に誓う自分が居ました。