ヨガインストラクターがレッスンで大切にしているポイント

ヨガ 庭で

ヨガを初心者に教える上で大切にしているポイント

ヨガの父の教え

「あなたが教えたいことではなく、生徒が必要なことを教えなさい。」というのはクリシュナマチャリア氏の言葉です。
(クリシュナマチャリア;現代ヨガの父と言われる彼は、20世紀のヨガの基盤を築く、パタビジョイス氏(アシュタンガビンヤサヨガの始祖)やB.K.Sアイアンガー氏等多くの弟子を世に輩。南インドチェンナイにある彼のヨガスクールは今年急逝された息子のデシカチャール師を経て今もインド国内外からたくさんの生徒に愛される。
(http://kym.org/Beta/category/upcoming-events/)

自分の知っていることをただ伝えたり、知識の供覧をするのではなく、その生徒が今、必要としていることを、彼が理解できる言葉で伝えるというのはとても大切です。これは誰とでもどのようなコミュニケーションとる時にも言えることです。まず相手を知ること、相手にあった言葉を選ぶことが重要<>なのです。

生徒が自分自身と向き合う環境を作る

ヨガとは本来治療的であり、1対1で教えられるべきものとされてきましたが、近年の消費社会の流れではグループクラスが一般化しています。そんな時、一人ひとり生徒とコミュニケーションを図れる時間は限られています。
骨格が異なれば、言葉の理解力も様々な人たちがひとつのインストラクションを共有することになるのですが、全員が同じ練習をすべきではありません。形式張ったインストラクションが全ての人に通用する訳ではないという意味です。骨格によって必要なアクションは全く異なるのです。皆がロボットのような画一的な動きをするクラスにしないためには、「自身の肉体を呼吸をエネルギーを感じる」ことに敏感に積極的になってもらいます。
今、自分に何が起こっているのか?
右と左はどんな差があったのか?
動きによってどんな影響が呼吸に出ているのか?
どのような思考が自分を通っていくのか?
「現在」の自分に気がついている上で、このままここにとどまるのか、これより先すすむのか。
これらを自身で決断してもらいます。この決断の判断力は経験によって培われるもので、その土壌のない初心者のためにできることを挙げてみましょう。

ヨガレッスンのクラスづくりで大切なこと

既存の知識をひけらかすのではなく、「今この瞬間」にある情報(生徒の身体、個性、感情や場の空気)に深く身を浸し、この場で最善の行動をひとつひとつ先生として選びながらクラスづくりを行います。

必要な時に側にいる感覚

まず、初心者の生徒さんには自分の近くにきてもらうか、クラス中、彼らのマットの側へアクセスしやすい道を自分の内に作りましょう。周りの人を真似て、無理をしてしまったりしないよう、息を詰めたりしないよう、「力を抜くこと」「強張った部位を緩めること」彼らの無意識に光を当て、彼らのレベルでできる事を提案し続けます。

日本人の生徒さんには唇をかみしめて、アサナをとっている人が本人達はきづいてないのですが本当に多いのですよ。面白いことにこれは日本人に顕著に見られる癖なのです。国民性でしょうか?先生が側に来てくれる。個人的に声をかけてくれる。ということは安心感や彼らの自信につながります。「つながっている」という感覚を大切にしましょう。

ポーズだけにとらわれないことを理解させる

アサナはヨガという壮大なアートの内のほんの小さな断片でしかありません。ヨガのポーズができた/できなかったからと言って、人生が変わる訳ではありません。大切な事は、「取り組む姿勢」と「精神の状態」です。アサナは瞑想への準備段階に過ぎず、ポーズというツールを通して自分の内にある、執着や嫌悪、恐怖といった「思考の種」を見つめていくものです。アサナを見本と似たような形にすることがヨガのゴールではないということを必ず初心者には理解してもらいましょう。「比べる」「ジャッジする」「優劣をつける」ということはとても愚かなことで、真の美しさを見失い、本質から離れていってしまいます。この概念をマットの上で練習し、実生活へも応用し、モノゴトの本質に直に触れる能力を養うことで、人生の甘露に触れることができるでしょう。

生徒への観察眼を大切にする

アサナを観る時は、「下から上へ」が原則

土台の安定しない場所に堅固な建物は建ち得ません。アサナも同様に大地との接点が全ての鍵です。どれほど安定して根付くことができるか、というのが強さと可動域を作る第一の要素です。生徒がアサナをとるのに難しいと感じるとき、それがどこから来るものかを先生は見つけてあげましょう。また、柔軟性に欠けると感じているようならば、その硬さは筋肉の緊張によるものか、産まれ持っての骨格によるものかを教えてあげましょう。筋肉の緊張は時間をかけることによって緩めることができますが、骨と骨とがぶつかり合う関節の形による動きの限界は一生変えることのできないものです。初心者の生徒が、間違った身体の使い方や過伸展の癖を悪化させないためにも、理想の形を追うのではなく、「身体の個性」を知った上での個別のアドバイスとアジャストを提供しましょう。また、肉体の身体だけでなく、その日の体調に伴う、精神状態や感情面も含めて生徒のエネルギーレベルと向き合ったクラスづくりを心がけます。

ヨガに抵抗感がある人へのアプローチ

「汚れた人程お風呂に入る必要があるのと同様に、カラダの硬い人程ヨガをする必要がある」というのは、私の先生の尊敬する先生の1人ピーター・クリフォードの言葉です。

モノゴトを有利と捉えるか、不利と捉えるかはその人次第です。苦手意識を持ってしまうと、細胞が精神に従うために、自ら身体をうまく使えなくしてしまい、状況を好転させることが難しくなってしまします。身体がカタイというのは、単なる状況でそれがその人の幸と不幸や、良い悪いとは全くの無関係です。身体の硬さには たくさんの利点があり、怪我から身を守ることや、関節の柔軟性の高い人にはなかなか見出せない「関節の力に頼らず、筋力を使う」という作業をいとも簡単にこなしてしまうのです。むやみに伸びることをアサナだと間違う可能性がとても低いことは、生まれながらに授けられたギフトです。自分が何を持ってこの世に産まれ落ちたとしても、その条件付けを変えられる力が私達にはあり、なりたいものになれるのです。習慣の脱却が無限の可能性をもたらすのがヨガの力です。

ヨガに夢中になり始めた人へのメッセージ

状況につかまらないこと。真剣になり過ぎないこと。人生とは七転び八起き、晴れの日があれば雨の日もある。ということ、アサナを、呼吸法を、瞑想を通して、今起こっていることは何でもないこと。全ては過ぎ去ることなのだよ。ということをヨガのクラスで体験してもらいます。

■「Hold lightly」の精神

何かに夢中になったり、ひとつの結果に固執しすぎるとそれが執着となり、苦しみの種となります。いつでも、軽く優しくつないでいるという姿勢で ヨガや仕事、家族とつきあいます。

■「Perfection in Inperfection」に感謝

今この瞬間が完全な調和の上に成り立っているために自分がここにいるということを理解し、現状を受け入れるということの練習を続けることが人生です。

こういったメッセージを肉体的なインストラクションに絡めて生徒にプレゼントするのがヨガティーチャーの役目です。どのように浸透するかは生徒の個性次第。私達ができることは、愛を持って解き放つということだけです。呼吸と同様自分から外へ出すことで自然と外から新しいものが内へ入ってきます。ヨガの先生とは 素晴らしいお仕事だと思いませんか?